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過去の演奏会

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 作品37

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Klavierkonzert Nr.3 in c-moll Op.37
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ / I. Allegro con brio
第2楽章 ラルゴ / II. Largo
第3楽章 モルト・アレグロ / III. Molto allegro

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番は、1796年から1804年にかけて作曲されました。 1803年に初演されましたが、このとき独奏ピアノの楽譜はまだほとんどが白紙の状態であり、独奏を務めたベートーヴェン自身が即興で乗り切ったといわれています。 独奏ピアノのパートが完成した1804年には、交響曲第3番「英雄」も完成しており、この2つの「第3番」の作風は『英雄的様式』と呼ばれ、今日我々が考える「ベートーヴェンらしさ」が確立された作品です。

ピアノ協奏曲第3番の作曲中である1802年には、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれました。 この遺書には、6年ほど前から耳の不調を感じ、音楽家としての将来を悲観して自殺まで考えたことが綴られていますが、芸術への探求心によってこの苦悩に打ち克とうとする強い決意がみられます。 ベートーヴェンの創作力はこれを機に大きく飛躍し、きわめて野心的なピアノ協奏曲が生み出されました。 その後、約10年にわたってベートーヴェンの創作は「傑作の森」と称される黄金期を迎えます。

この協奏曲第3番の創作時期は、ピアノの性能が劇的に進化した時期と重なっています。 ベートーヴェンは1803年、フランスのエラール社から新型ピアノの寄贈を受けます。 このピアノはそれまでベートーヴェンが使用していたウィーン式(ハンマーを跳ね上げて弦を打つ方式)とは異なるイギリス式(ハンマーを突き上げて弦を打つ方式)で、鍵盤のタッチが重く重厚な響きの楽器でした。 また、音域が5オクターブから5オクターブ半に拡張されており、初めて出せる音に興奮したベートーヴェンは、いったん完成した独奏パートを書き直しました。

ベートーヴェンが作曲した番号付きのピアノ協奏曲は全部で5曲ありますが、第3番は唯一短調で書かれた作品です。 この曲で選択されたハ短調という調性は、代表作である交響曲第5番「運命」やピアノソナタ第8番「悲愴」と同じであり、ベートーヴェンにとって特別な調でした。 独奏ピアノはオーケストラから分離することなく、またオーケストラも伴奏だけにとどまらず各楽器の個性を活かしながらピアノと有機的に結びつきます。 それによる堅固な構造や充実した響きはそれまでの古典派協奏曲とは一線を画し、交響曲を思わせるほどです。

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ

オーケストラが主題呈示を行なった後、ピアノが劇的に登場します。 ここでは第1主題がfのオクターブユニゾンで鳴らされた後、すぐに同じフレーズが和声を伴ってpで現れ、この感情の対比がとても印象的です。 この表現手法は、同じハ短調協奏曲であるモーツァルトのピアノ協奏曲第24番からの影響がうかがえます。

第2楽章 ラルゴ

ハ短調で終止した第1楽章から一転し、ハ短調とは共通音を1つも持たないホ長調で開始されます。 このような遠隔調にとぶことは古典派の作品としてはきわめて異例であり、それによりどのような効果がもたらされるのか、ぜひ耳を傾けて下さい。 中間部のファゴットとフルートの対話も聴きどころです。穏やかな旋律は突然のffで終わり、すぐに第3楽章へと続きます。

第3楽章 モルト・アレグロ

ピアノの軽快な主題で始まり、中間部ではクラリネットによる牧歌的で伸びやかな旋律がうたわれます。 コーダでは突然ハ長調となり、輝かしい喜びで全曲を締めくくります。

(Y.H)

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