オーケストラ・ソノーレ長野 公式ホームページ

過去の演奏会

小山 清茂/ピアノと管弦楽のためのうぶすな

Kiyoshige Koyama (1914-2009)
Ubusuna for piano and Orchestra
第Ⅰ章
第Ⅱ章
第Ⅲ章

小山清茂は、旧更級郡信里村字村山(現在の長野市篠ノ井村山)出身の、長野市が世界に誇る作曲家です。農家に生まれた小山は、1933年に長野師範学校を卒業した後、教員生活を送りながら作曲家としての活動も始め、1946年に「管弦楽のための信濃囃子」が第14回音楽コンクールで第1位を得たことをきっかけに、その名が広く認められるようになりました。

小山は日本の伝統的な音感覚を濃厚に体現した作曲家で、日本的情緒を表現するのにふさわしい「日本和声」を考案、体系化したことは、画期的な功績です。また、民謡旋律の引用に留まらず、囃し言葉や伝統行事を含む、「古き良き日本」の生活音響を音楽化したことも、音楽史的にももっと注目されてよいでしょう。

小山の作風は、明快ではありますが、決してよく言われるような「温和」というような言葉に収まるものではありません。日本の風土に根付いた音感覚への徹底したこだわりや、いくつかの作品に聴かれる荒々しいほどの民俗的生命力など、親しみやすさの内にも、極めて芯の強さが感じられます。

本日演奏する「うぶすな」は、もともとは1962年に「箏と和楽器によるうぶすな」として書かれ、芸術祭奨励賞を受賞した作品です。ピアノと管弦楽(和太鼓他多数の打楽器を含む)のための版は、1985年に新交響楽団からの委嘱により改作され、同年4月7日に芥川也寸志の指揮により初演されました。

この作品は、初演時のほか、出版物に記載されている作品表でも「管弦楽のためのうぶすな」と表記されています。しかし、作曲者自身が長野市に寄贈したスコア(自筆スコアのコピーを製本したもの)の表紙には、自筆のタイトルが貼られており、そこには「うぶすな―<ピアノと管弦楽のための>―」と書かれているほか、表紙裏の楽器編成表でもそのように訂正されています。このスコアには初演を踏まえて書かれたと考えられる修正もあり、作曲者の最終意思を示すものと判断して、今回はその記載に従っています。ただ、ピアノは極めて重要な役割を果たしますが、いわゆる「協奏曲」のようにオーケストラから完全に独立した存在ではなく、オーケストラと一体となっているため、本日の演奏会では、指揮者の指示により、ピアノをオーケストラの中に配置して演奏します。

「うぶすな(産土)」という言葉は、人が生まれた土地を意味します。曲は3つの章からなりますが、小山はこの作品について、「民謡あるいは民俗芸能のもつ精神を考えようとの意図のもとに、第Ⅰ章は『祈りの心』、第Ⅱ章は『歌の心』、第Ⅲ章は『踊りの心』をそれぞれ表現しようとした。」と述べています。

第Ⅰ章は櫓太鼓の独奏で始まりますが、これは作曲者が子供の頃に聞いた、実家の隣の神主が祈祷の際に打ち鳴らしていた太鼓のリズムです。小山はこのリズムを、八分音符を「かん」、十六分音符2つの組を「ぬし」として、「かんぬし かんぬし かんかん ぬしぬし」などと口で真似をして覚えたと述べています。

この章はX-Y-XYの3つの部分に区切られ、各部分はいずれも神主の太鼓で始まります。Xはこの楽章だけでなく、曲全体の導入部としての性格も併せ持っています。Xの主題は、神主の祝詞(のりと)のような抑揚を持ち、独奏ピアノと弦楽器の掛け合いによって提示されるもので、曲全体の基本主題として、神主の太鼓のリズムとともに、曲の要所に現れたり伴奏型となったりするなど、曲を進行させ、全体を統一する重要な役割を担っています。

Yは雅楽風となり、笙の音色を模した弦楽器の和音に乗って、オーボエが主題を奏でます。主題がフルートとクラリネットによって繰り返される際には、弦楽器に替わってピアノが伴奏します。この伴奏は、基本主題を用い、神主の太鼓のリズムを即興風に変形したものです。

XYの部分は、まずYの伴奏であった弦楽器の和音とピアノのリズム伴奏が同時に現れます。そこに弦楽器によるXの主題(基本主題)の変奏が乗り、さらにフルートとオーボエによるYの主題が絡むという、シンプルで骨太の構造となっています。

第Ⅱ章はピアノのカデンツァと短いコーダを伴う二部形式で、木管楽器による主題は作曲者自身の創作ですが、子守唄として伝わっていたかのような民衆の歌心を感じさせるもの。変奏的な後半では、ピアノが箏特有の表現を模倣し、最後には短いながらもカデンツァも用意されています。また、弦楽器のグリッサンドを伴うピチカートによる箏の「あと押し」「引きいろ」の模倣や、フラジオレット(倍音奏法)による横笛の音色の模倣も印象的です。

第Ⅲ章は短い序奏とコーダの付いたA-B-Cの三部形式で、各部分は神主の太鼓によって区切られています。力強い序奏に続く粗野でエネルギッシュな主題は、作曲者が子供の頃に歌っていた悪口唄で、ピアノ(ガキ大将)による先導と弦楽器(その他の悪ガキたち)による復唱で提示されます。Bでは第Ⅰ章のYの主題、Cでは第Ⅱ章の主題が、それぞれ神主の太鼓やこの楽章の主題(悪口唄)と絡み合いながら再現されますが、ピアノはその間、箏の技法を想定して書かれた広い音域にわたる音型を、鍵盤全域を駆使して繰り広げます。

後の楽章で既出の主題を組み合わせながら再現させる手法自体は、それほど珍しいものではありません。しかし小山清茂の場合には、交響組曲「能面」を代表的な例として、何とも表現しがたい強烈な感覚を呼び起こします。この手法は第Ⅰ章でも使われていましたが、この第Ⅲ章では、一層の力感と広がりが感じられ、極めて効果的にコーダへの期待を高めます。コーダで基本主題が全楽器によりユニゾンで高らかに歌い上げられるまでの流れは、まさに小山清茂の真骨頂と言えるでしょう。

(T.M)

Copyright (C) 2013 - Orchestra Sonore Nagano.
All Rights Reserved.

inserted by FC2 system