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過去の演奏会

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン/交響曲第103番 変ホ長調 Hob.I:103「太鼓連打」

Franz Joseph Haydn (1732-1809)
Sinfonie Nr.103 Es-Dur Hob.I:103 "Mit dem Paukenwirbel"
第1楽章 アダージョ - アレグロ・コン・スピリート/ I. Adagio – Allegro con spirito
第2楽章 アンダンテ・ピウ・トスト・アレグレット / II. Andante più tosto allegretto
第3楽章 メヌエット / III. Menuet
第4楽章 フィナーレ アレグロ・コン・スピリート / IV. Finale. Allegro con spirito

ハイドンは長年にわたって現在のハンガリーのエステルハージ公爵家の楽長を務めていました。1790年に君主ニコラウス・エステルハージ候が亡くなると、後を継いだアントン候は音楽に興味を示さず、楽団は解散されますが、ハイドンには年金支給と自由な音楽活動が許され、生活の本拠はエステルハージ宮からウィーンへと移ります。

そんなハイドンのもとにいくつか仕事の話が舞い込みますが、最も彼の興味を惹いたのは、ドイツ出身のヴァイオリン奏者で、ロンドンで興行師としても活躍していたヨハン・ペーター・ザロモンによるロンドンへの招聘でした。ハイドンはザロモンの招きに応じ、1791~1792年と1794~1795年の2回にわたりロンドンに滞在し、それぞれ6曲ずつ、合計12曲の交響曲を作曲し、自ら指揮して初演します。これが「ロンドン交響曲集」あるいは「ザロモン交響曲集」として知られている、第93番から第104番までの交響曲です。

ロンドンのオーケストラはエステルハージ家のものとは比べ物にならないほど大規模で充実しており、また聴衆の反応がリアルタイムではね返ってくることもあって、ハイドンは工夫を凝らして充実した作品を生み出しました。ハイドンはその後も約8年間作曲を続けますが、再び交響曲を書くことはなく、その結果、「ロンドン交響曲集」はハイドンの交響曲創作の最後を飾り、同時に古典派交響曲の頂点ともなる傑作群となっています。

本日演奏する第103番は、恐らく1795年の1月から2月にかけて作曲され、同年3月2日に初演されました。「太鼓連打」という標題は、第1楽章序奏がティンパニのトレモロで開始するため、後から付けられたものです。主要主題の多くが民謡の旋律を基にしていることも大きな特徴となっています。また、第2楽章ではベートーヴェンを思わせる半ば強引な力強さ、第4楽章ではメンデルスゾーンを彷彿とさせるリリシズムなど、後の作曲家の先触れとも言える要素も数多く聞かれ、ハイドンの存在感を改めて感じさせる傑作です。

第1楽章は序奏付きのソナタ形式で書かれています。ティンパニのトレモロに続き低音楽器で静かに奏でられる旋律は、主部の推移部や展開部にも現れ、他のロンドン交響曲の序奏とは異なり、主部と有機的なつながりを持っています。なお、冒頭のティンパニは、当時の演奏習慣では単なるトレモロではなく、奏者の即興に委ねられていたという主張もあり、本日の演奏でも、指揮者の指示により、団員が即興します。

ソナタ形式主部の第1主題はクロアチア民謡に基づくものです。ハイドンが仕えていたエステルハージ家の領地には、いくつかクロアチア人の村もあり、そこで耳にしたものと考えられます。

第2楽章は主題が2つある変奏曲です。短調と長調の主題はいずれもエステルハージ領付近の民謡に基づいています。これら2つの主題が交互に変奏され、当時の変奏曲の例にもれず、変奏が進むにつれて音価が細かく分割されていきます。

第3楽章はメヌエットで、オーストリアのヨーデル旋律に由来するという説もあります。ひっかかるようなリズムのメヌエット主題に対し、トリオはレントラー風のなめらかな旋律。

第4楽章はロンド形式。単一主題で、その主題は第1楽章と同様にクロアチア民謡に基づきます。

(T.M)

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