ベートーヴェンは1812年の夏、ボヘミアの温泉保養地に滞在しながら交響曲第8番の作曲を行いました。このときベートーヴェンは宛先のないラブレターも書いており、その相手を「不滅の恋人」と呼んでいました。不滅の恋人が誰であるかは研究者たちがこぞって突き止めようとしましたが、諸説あるものの決定的な証拠はなく、未だ謎が残っています。手紙の内容からベートーヴェンの人生において最大の恋愛であり、また恋人関係としてもこの時が絶頂期であったとみられています。交響曲第8番は、その喜びや希望に満ちた中で生まれた作品です。
交響曲第5番と第6番でさまざまな新しい試みを取り入れた後にありながら、第8番では再び古典的な手法へと回帰しました。初演時には第7番と一緒に演奏されましたが、第7番の人気の陰に隠れてしまい、反応は今ひとつでした。これについてベートーヴェンは、「聴衆がこの曲を理解できないのは、この曲があまりに優れているからだ」と語ったそうです。9つの交響曲の中でこの曲だけが誰にも献呈されなかったことから、自分自身のために作曲した、特別な思い入れのある曲ではないかと考えられます。
序奏はなく、溢れんばかりの喜びに満ちた第1主題で始まります。第2主題はヴァイオリンによるワルツ風の優雅な旋律です。展開部のクライマックスでは全員がfffを鳴らす中、第1主題を演奏するのはなんと低弦とファゴット。最後は再び第1主題がひっそりと現れますが、これは後の交響曲第9番の第1楽章でも同じ手法がとられます。
木管とホルンが16分音符で軽快にリズムを刻む中、可愛らしい旋律を弦楽器が奏でます。16分音符のリズムは所々で引き延ばされたり、旋律の最後に突然鋭い同音連打が現れたりします。第3楽章がメヌエット風の音楽となったことで、第2楽章がスケルツォの役割を果たしているといえます。
リズミカルなこの楽章は、長らくメトロノームを表現したものであると考えられてきました。ベートーヴェンはメトロノームに大きな興味を示し、その発明者メルツェルに捧げた「親愛なるメルツェル、ごきげんよう WoO 162」という曲をこの楽章へ転用したといわれてきたからです。しかし、メトロノームの発明時期(特許取得は1816年)と作曲時期との不整合から、この曲はベートーヴェンの秘書シンドラーによる偽作の可能性が高いことが分かりました。シンドラーがなぜ曲を作ってまでこのような逸話を捏造したのか不明ですが、通例では緩徐楽章となるはずの第2楽章が軽快な音楽となった理由を説明したかったのかもしれません。もしそうだとしたら、当時の人々にとってこの楽章は個性的で奇抜なものに感じられたということでしょう。
これまでの交響曲では第3楽章をスケルツォとしたベートーヴェンですが、この曲ではメヌエットとしています。しかしよく見ると、「テンポ・ディ・メヌエット」であり、これは「メヌエット
トリオに現れるホルンの旋律は、ボヘミア滞在中に聴いた郵便馬車のポストホルンに由来するといわれています。恋人と現地で合流する予定だったベートーヴェンは、恋人からの連絡の手紙を日々待っていました。ポストホルンは手紙が来たことを告げる合図であり、その喜びがトリオに表現されています。ホルンとクラリネットが伸びやかに歌う裏で、チェロだけがなぜか3連符をひたすら忙しく弾き続けます。ユーモラスでスケルツォ的にも聴こえる不思議なトリオです。
超高速の3連符2つによる独特のリズムが、強弱の対比とともにしつこく繰り返されます。同様の手法は交響曲第5番でも採られていますが、しつこさはそれ以上であり、自分の楽曲のパロディのように感じられます。コーダは楽章の半分にもおよぶ長大なもので、ファゴットとティンパニによるオクターブの跳躍が特徴的です。最後はへ長調の主和音をこれでもかと打ち鳴らし、終結します。
(Y.H)