ベートーヴェンは交響曲の作曲に対して非常に慎重であったと言われており、第1番を完成させたのは1800年、29歳の時でした。続く第2番は、第1番から2年後の作品です。ベートーヴェンが耳の不調に気付きだしたのは1800年頃といわれており、第2番の作曲中はすでにその苦しみの中にありました。彼は耳の保養のためウィーン郊外のハイリゲンシュタットに滞在し、その中で第2番の作曲が進められました。
ハイリゲンシュタットといえば、かの有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた場所です。最初の交響曲を書き上げ作曲家として花開こうとした矢先、音楽家の命とも言える耳を病が襲ったことは彼にどれだけの苦悩をもたらしたかは想像に難くありませんが、彼はこの苦悩を創作意欲へと置き換えていきます。よってこの遺書は、絶望の中でしたためられたものとみるよりは、運命を受け入れ、過去の絶望していた自分と決別するためのものとみるのが妥当かもしれません。遺書の真意は本人にしか分かりませんが、いずれにしてもこの第2番からは絶望的な響きは全く感じられません。
ベートーヴェンの交響曲は第3番「英雄」によって画期的な進歩を遂げており、音楽史上の奇跡のように語られることもしばしばです。しかしながら、第2番ではコーダの拡大や楽器の使用法など、第3番以降の発展のために様々な試みがなされています。コーダに関しては、従来のソナタ形式の終結部という役割から、第2展開部といえる内容に発展しており、ベートーヴェンの溢れんばかりの創作意欲が感じられます。また、楽器の使用法に関しては、クラリネットの重視や、チェロとコントラバスの分離が特筆されます。当時、オーケストラに加わったばかりのクラリネットに主要主題を受け持たせていますが、そこには常にファゴットが重ねられており、まだまだ実験的な使用だった様子も伺えます。英雄以降の交響曲と相対的に比べれば地味に映りがちな第2番ですが、若きベートーヴェンの大胆な試みと旋律美を併せ持つ、大変魅力的な作品です。
ハイドンのスタイルを踏襲した序奏つきのソナタ形式。アダージョのゆっくりした序奏には、冒頭に現れる「タターン」という音の連打、半音階の「タリラリラ…」という音形やトリルなど、全曲を通じて重要となる材料が詰め込まれています。第1主題を受け持つのはヴィオラとチェロで、ヴァイオリンが担当しないのは古典派交響曲としては異例の主題提示です。第2主題はクラリネットを中心とした木管楽器に現れます。コーダの頂点は金管楽器の半音衝突による大胆な不協和音で、初めて聴いた当時の聴衆はさぞかし驚いたことでしょう。
田舎の穏やかな風景を思わせる第2楽章は、ベートーヴェンの交響曲の中でもとりわけ美しい旋律に溢れています。構成は田園交響曲のミニチュア版と言って良いかもしれません。第1主題は弦楽器と、クラリネット、ファゴット、ホルンの対話。第2主題はヴァイオリンでうたわれ、フルート、オーボエによる鳥の声も聞こえてきます。田園交響曲のような嵐はやってきませんが、展開部での短調への転調はふっと日が陰ったという印象でしょうか。
交響曲史上初めてスケルツォと表記された楽章です。ハイドンやモーツァルトによって確立された「第3楽章=メヌエット」というスタイルを、早くも打ち破っています。宮廷音楽のメヌエットをスケルツォに置き換えることで、音楽を宮廷のものから民衆のものへ取り戻したいという意図が伝わってきます。スケルツォはメヌエットと同じ3拍子ですが、速いテンポと激しい強弱の差によって、より刺激的でウィットに富んだ音楽となっています。トリオは、オーボエによるのどかな旋律と、弦楽器による少々乱暴とも思える旋律とのコントラストで描かれます。
冒頭の第1主題は、驚くほどユニークな旋律です。あまりに突飛なように思えるこの旋律は、実は第1楽章序奏の材料で作られています。一転して伸びやかな旋律がチェロの呼びかけによって現れますが、これは第2主題への繋ぎです。この雰囲気を受け継いだ第2主題は、木管楽器の音色の違いを見事に使い分けています。コーダはこれまでのさまざまな動機が疾風怒濤に展開されます。全休止も効果的に使われ、最後は全員のニ(D,レ)音の連打によって締めくくられます。
(Y.H)