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過去の演奏会

髙田 三郎/狂詩曲第1番、狂詩曲第2番

Saburo Takata (1913-2000)
狂詩曲第1番 ~「木曾節」の主題による~
Rhapsody No.1
狂詩曲第2番 ~「追分」の主題による~
Rhapsody No.2

髙田三郎の2つの狂詩曲は、その副題どおり日本民謡「木曽節」と「追分節」をテーマとしています。木曽節に関してはここで改めて触れる必要がないほど、われわれ長野県民にとってはなじみ深い民謡です。また、追分節は越後追分や江差追分など全国各地にありますが、そのルーツは信濃国追分宿(現在の軽井沢町、信濃追分駅近く)で唄われていた馬子唄であるとされ、こちらも長野県にゆかりのある民謡と言えます。

詳細な曲目解説につきましては、髙田三郎作品の研究者であり本日の演奏に使用する浄書譜を作成された岡崎隆様による解説を引用させて頂きます。

管弦楽の時代 / 2曲の狂詩曲

名曲『水のいのち』によって、合唱音楽の作曲家としての評価が定着している高田三郎(1913~2000)だが、その作曲の原点が管弦楽曲であったことを知る人は少ない。

音楽の志を抱き故郷・名古屋を後に上京した高田は、1935(昭和10)年、憧れの東京音楽学校(現・東京藝術大学)作曲部に入学する。音楽学校での幾多の試行錯誤を経て、高田は「日本の旋律と関連のある作品を書いて行く」ことを作曲にあたる原則のひとつとして打ち立てた。「日本の旋律にしてもそのほんとうの精神を(そのムードではなく)生かすことができるのは、われわれ以外になく、また、われわれの責任なのだから」

その後研究科(現在の大学院)に進み、1941(昭和16)年に卒業作品として『山形民謡によるファンタジーと二重フーゲ』を作曲する。奏楽堂において師フェルマー指揮する学生オーケストラによるリハーサルを聞き、「初めて自分自身に出会う事が出来た」と込み上げる涙を抑える事ができなかったという。この作品は後年『山形民謡によるバラード』と改題され、高田の管弦楽曲の代表作となった。

ところが、実は『山形民謡』と同じ年に作曲され、不遇な運命を辿った管弦楽曲があったのだ。それが『管弦楽のための組曲』である。

『管弦楽のための組曲』は4曲からなり、作曲当時は『幻想組曲』という題名が付けられていた(演奏時間約20分)。作曲から4年を経た1945年(昭和20年)4月、この組曲はようやく初演の時を迎えようとしていた。ところが同13日、マンフレッド・グルリット指揮する中央交響楽団(現・東京フィルハーモニー交響楽団)によるリハーサル終了直後、なんと練習場が空襲にあい、スコア・パート譜とも焼失してしまう。

本日演奏される2曲の『狂詩曲』は、この焼失した『管弦楽のための組曲』(1941)の第2~4曲から、作曲者が記憶をもとに再編したものである。それぞれ「木曾節」と「追分」をテーマとしており、2曲とも日本的な情緒と躍動感に溢れた、非常に親しみやすい内容を持っている(なお組曲第1曲のフーガは、前述『山形民謡によるファファンタジーと二重フーゲ』の後半部分に転用されている)。

2005年、高田氏ご遺族の依頼を受けNHKアーカイブスに問い合わせたところ、この2曲の狂詩曲を含む、全部で5曲の管弦楽曲の自筆スコア・パート譜が保管されている事が判明した(他の3曲は組曲『季節風』(1942)、ヴァイオリンと管弦楽のための譚詩曲(1944)、舞踏組曲『新しき土と人と』(原題『新しき泰』/1944))。

アーカイブスのご厚意を得て3年後、全5曲の浄書フルスコア、パート譜が完成した。これらの作品は初演後殆んど演奏されていないと思われ、2曲の狂詩曲については髙田三郎の没後10年にあたる2011年、新交響楽団による演奏が実に60有余年ぶりとなった。

狂詩曲第1番「木曽節」 (1945/演奏時間約6分)

日本放送協会委嘱作。作曲当時のタイトルは「長野」であった。1945(昭和20)年10月18日、日比谷公会堂で行われた「第九回希望演奏会」で、作曲者指揮する松竹交響楽団により初演が行われた。(その際、タイトルは「信濃路」と変更されている)

序奏の部分(「木曽節」の主題が登場するまで)の日本的な抒情味の素晴らしさは、まさに絶品だ。こんな素晴らしい作品を、半世紀以上もの間埋もれさせておく日本の音楽界とは・・・という事まで、改めて考えさせられてしまう佳曲である。

狂詩曲第2番「追分」 (1946/演奏時間約10分)

1946(昭和21)年作曲。翌年1月14日午前9時より、作曲者指揮する東京フィルハーモニー交響楽団により放送初演が行われた。(NHK第一放送「日本の音楽」)

オーケストレーションはたいそうシンプルかつ明解で、大胆な不協和音の強奏を取り入れた賑やかな盛り上がりが素晴らしい。中でもホルン・パートの主張の強さには注目させられる。実は高田氏、1941年(昭和16年)の紀元2600年管弦楽団にホルン奏者として参加するなど、この楽器の名手でもあったのだ。(ベートーヴェン「フィデリオ」序曲のソロを完璧に吹いた、というエピソードが伝えられている)

最後に・・・高田三郎はその作曲人生を「管弦楽のための5つの民俗旋律」(2000)という大作で閉じた事を、ここに改めて記しておこう。

~執筆にあたり、高田三郎氏奥様の留奈子様より数多くの貴重な情報をいただきました。ここに厚く御礼申し上げます。~

岡崎 隆(楽譜作成工房「ひなあられ」)

<新交響楽団 第212回定期演奏会 プログラム・ノートのために書かれた文章を、執筆者の承諾を得て一部変更。>

(Y.H)

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