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過去の演奏会

ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番 ハ短調

Сергей Васильевич Рахманинов
Sergei Vasil’evich Rachmaninoff
(1873-1943)
2й Концерт для фортепиано до минор, соч.18
Second Concerto for Piano in C minor, Op.18
Ⅰ Moderato
Ⅱ Adagio sostenuto
Ⅲ Allegro scherzando

ラフマニノフは19世紀末から20世紀前半にかけて活躍したロシア出身(ロシア革命後は米国に移住・帰化)の作曲家です。彼は20世紀最大のピアニストの一人でもあり、また、生前はニキッシュやマーラーにも比べられる名指揮者としても知られていました。

一般的にラフマニノフは、「ロマン派の伝統に立脚し、ロシア的な哀愁の漂う美しい旋律を書いた保守的(時代遅れ)な作曲家」とみなされています。しかし実際には彼は天与のメロディーの才能に頼った単純な保守反動勢力だったわけではなく、動機労作に力を注ぎ、また主に歌劇や声楽曲の分野では実験的な試みも行っています。近年ようやく「研究対象」として認められるようになったラフマニノフの作品は、今後その音楽史上の位置付けも変化していくと考えられます。

若い頃から作曲家として順調なキャリアを築いていたラフマニノフでしたが、渾身の力を込めて世に送り出した交響曲第1番の初演(1887年)が歴史的な大失敗に終わり、その後3年間、作曲できない精神状態に陥っていました。1900年から翌年にかけて作曲されたピアノ協奏曲第2番は、どん底状態だったラフマニノフが、精神科医ニコライ・ダーリ博士による暗示療法により自信を取り戻して完成させた作品です。第2楽章と第3楽章が先に作曲され、1900年12月2日に作曲者自身のピアノ独奏で初演された後、全曲初演は1901年10月27日に同じく作曲者の独奏で行われ、大成功を収めました。この成功が彼の作曲家としての復活のきっかけとなっただけでなく、ピアノ協奏曲第2番は現在に至るまでラフマニノフの代表作とみなされ、映画などでもしばしば使われ、非常に高い人気を誇っています。

作曲者自身の伝説的な演奏技巧を前提に書かれたこの協奏曲が、独奏者にとって難易度の高いものであることは、よく知られています。独奏パートに見られる超絶技巧のパッセージは、技巧誇示そのものを目的とするだけでなく、オーケストラとの絡みの中で効果を出すための手段として用いられる部分も多く、独奏者には、聴き手が想像する以上の技巧、さらには単なる技巧以上の高度な音楽性が求められます。

第1楽章は、独奏ピアノにより、ロシア正教会の鐘の響きを思わせる重厚な和音の連続で開始されます。この導入の最後に出るAs-F-Gという動きが曲の基本動機であり、この動機(実際にはG-As-F-Gであるが、ここでは最初の一音が省略されている)を徹底して主題や伴奏に組み込むことにより、曲全体が組み立てられています。第1主題は弦楽器のユニゾンによる雄大なもので、これを聴いたラフマニノフの親友であった作曲家メトネルは「鐘の音とともにロシアがその巨大な身体を揺らして立ち上がるような気がした」と語っています。第2主題は一気に上昇してからゆるやかに下降するラフマニノフ特有の大きな旋律で、半音階的に変形された基本動機が埋め込まれています。展開部で劇的に盛り上がったまま再現部になだれ込みますが、こうした構成はラフマニノフのソナタ形式の特徴のひとつです。

第2楽章は三部形式による緩徐楽章。はじめにピアノが奏でる3連符の伴奏形は、1891年に作曲された6手連弾のためのピアノ曲「ロマンス」から引用されています。ロシアの白夜の情景を思わせる美しい楽章ですが、中間部にスケルツォ的な要素が盛り込まれ、感傷に溺れないところは、現代的な感性の表れと言えます。

第3楽章は二つの主題によるロンドや変奏曲の要素を持つ自由な形式で書かれています。主要主題はスケルツォ風、副主題は第1楽章第2主題と同様ラフマニノフ特有の抑揚を持った印象的なもの。この二つの主題が対比されながら、最後には両者が融合して圧倒的なクライマックスを築きます。

(T.M)

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