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過去の演奏会

小山 清茂/交響組曲「能面」

Kiyoshige Koyama (1914-2009)
Symphonic Suite 《Nōmen》
第1章 「頼政」(よりまさ) Yorimasa
第2章 「増女」(ぞうおんな) Zo-onna
第3章 「大癋見」(おおべしみ) Obeshimi

小山清茂は、旧更級郡信里村字村山(現在の長野市篠ノ井村山)出身の、長野市が世界に誇る作曲家です。農家に生まれた小山は、1933年に長野師範学校を卒業した後、教員生活を送りながら作曲家としての活動も始め、1946年に「管弦楽のための信濃囃子」が第14回音楽コンクールで第1位を得たことをきっかけに、その名が広く認められるようになりまし た。

小山の作風は、明快素朴ではありますが、決してよく言われるような「温和」というような言葉に収まるものではありません。日本人の伝統的な音感覚への徹底したこだわりや、いくつかの作品に聴かれる荒々しいほどの生命力など、親しみやすさの内にも、極めて芯の強さが感じられるものです。

本日演奏する「能面」は、第14回芸術祭参加作品として文化放送から委嘱され、1959年8月から10月にかけて作曲されました。渡辺暁雄指揮日本フィルハーモニー交響楽団により同年11月5日に放送初演され、芸術祭奨励賞を受賞していま す。

「能面」の印象に基づく作品を、という題目を受け、小山は「頼政」「増女(ぞうおんな)」「大癋見(おおべしみ)」という特徴的な3つの能面を選び、三部からなる組曲としました。能面を眺めるだけでは作曲できないと感じた小山は、実際に「頼政」の舞台を観て雰囲気を知った上で、謡曲本を買い、それを歌詞として歌曲の要領で作曲するなど、試行錯誤しながら筆を進めたようです。

この「能面」では、民謡や神楽囃子など、小山作品でしばしば使用される既存の伝統音楽の旋律はほとんど使われていませんが、それにも関わらず、作品から受ける印象は「日本の響き」以外の何物でもありません。また、一切の無駄をそぎ落とされた能楽と同様、限られた素材のみを用いながら、極めて振幅の大きな表現が聴かれます。さらに、オーボエのグリッサンドによる能管や謡いのイントネーション、木管とヴィオラのグリッサンドを伴うピチカートによる鼓の音、低弦楽器が靴べらで弦をはじくことによる薩摩琵琶の響きなど、様々な日本の伝統的音響が表現されていることも、大きな聴きどころです。

第1部は「頼政」。この面は能「頼政」でのみ用いられる特殊な面です。冒頭にオーボエ独奏により無伴奏で出る幽玄な第1主題が、謡曲本を歌詞に作曲されたものです。この曲のスケッチ(2台ピアノ版)には、この旋律に「埋木(うもれぎ)の花咲くこともなかりしに 身のなる果ては哀れなりけり」という頼政の辞世の歌が歌詞として書き込まれています。続いて弦楽器で出る第2主題は、和歌の朗詠のイントネーションを思わせるもの。最後にはそれら2つの主題が同時に演奏されます。

第2部の「増女」は、気高く神聖なイメージの女性を表し、天女や神女の類に使用されます。2つの主題のうち、1つ目は「頼政」の主題に似せ、2つ目は第3部の「大癋見」の主題に似せることにより、両端楽章をつなぐ役割を果たしています。印象的なハープのアルペジオは箏の音を想起させます。また、後半ではピッコロにより能管を思わせる旋律が現れますが、これはこの曲では例外的に用いられた伝統的旋律で、能の「中の舞」(注)の旋律を 採譜し、若干変更を加えたものとなっています。

第3部の「大癋見」は、天狗の怒った表情を表す面。「頼政」と「増女」は中間表情の面であり、舞台上での使い方により喜怒哀楽の表情を表せるものですが、この「大癋見」は瞬間表情の面であるため、主題も荒々しいもの1つのみとなっています。最後には、低弦のピチカートとティンパニによる特徴的なリズムの上で、まず「頼政」の第1主題が現れ、そこに「頼政」の第2主題が加わり、さらに「大癋見」の主題も重ねられて、圧倒的なクライマックスに至りま す。

なお、本日の演奏にあたっては、指揮者が作曲者の自筆譜や作曲者自身による書き込みのある出版譜を参照し、その結果を反映させています。

(注)(ちゅうのまい)能の舞事(まいごと)のひとつ。序の舞と急の舞との中間の速度で舞う舞。また、その囃子(はやし)。美女・喝食(かっしき)などの舞うものと、妖精・天女などの舞うものとがある。

(T.M)

参考:nohmask21.com

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