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ベートーヴェン/交響曲第9番 ニ短調

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Symphonie Nr.9 d-moll, Op.125
Ⅰ Allegro ma non troppo e un poco maestoso
Ⅱ Molto vivace
Ⅲ Adagio molto e cantabile
Ⅳ Presto – Allegro assai – Allegro assai vivace(alla Marcia) – Andante maestoso – Adagio ma non troppo ma divoto – Allegro energico e sempre ben marcato – Allegro ma non tanto – Presto – Maestoso – Prestissimo

ベートーヴェンが完成した最後の交響曲となったこの曲は、1818年に着手され、その後4年間の空白の後、1822年から23年にかけて作曲、同年2月に完成しました。近年では、ベートーヴェンの創作時期を7期に分ける方法が定着していますが、この曲が書かれたのは第7期「孤高的様式期」(1817年からベートーヴェンが没するまで)に当たります。これに先立つ第6期「ロマン主義傾斜期・スランプ期」には、ベートーヴェンは失恋や健康問題により創作力が鈍っていましたが、第7期になると、数こそ多くはないものの、生み出された作品はいずれも音楽史に残る傑作ばかりとなっています。

この交響曲の大きな特徴として、第4楽章に4人の独唱と合唱を伴うことが挙げられ、そのためこの交響曲は「合唱付き」と呼ばれることもあります。歌詞として用いられたのはフリードリヒ・フォン・シラーの頌詩「歓喜に寄す」です。ベートーヴェンはシラーの頌詩をそのまま使うのではなく、気に入った部分を抜粋して順序を入れ替えており、また最初のレチタティーヴォの歌詞はベートーヴェン自らが作っています。

シラーの「歓喜に寄す」は、1785年に書かれ、翌年発表された後、1803年に改訂・出版され、当時の知識人の間で広く愛好されていました。この頌詩でシラーは、人類愛と人々の団結による人間解放を理想として高らかに謳い上げています。

ベートーヴェンが第9交響曲で用いたのは1803年の改訂稿ですが、彼は1792年以前には「歓喜に寄す」を知っており、その全節に作曲しようとしていたという証言があります。その後ベートーヴェンは「歓喜に寄す」の歌詞に関係する作品やスケッチをいくつか残しており、この頌詩に対する傾倒はかなりのものであったと考えられます。しかし、最初からこの交響曲第9番を「歓喜に寄す」を用いた声楽付きのものとするつもりだったわけではありません。当初交響曲第9番は器楽のみで書かれており、これとは別に声楽付きの交響曲が構想されていたようです。これら2つの交響曲の構想が最終的にはひとつになったと推測されますが、いずれにしても、ベートーヴェンが交響曲第9番に「歓喜に寄す」による声楽を導入することを決めたのが、作曲の最終段階に近い1923年秋以降であったことは、ほぼ確実とされています。

この交響曲は、独唱と合唱が用いられていることに加えて、オーケストラにもピッコロ、コントラファゴット、トロンボーン、さらには大太鼓、シンバル、トライアングルなどの打楽器群といった、通常交響曲では用いられない楽器が総動員されるなど、当時他に例を見ないほど大きな編成で書かれています。とりわけ教会の楽器であるトロンボーンと軍隊で用いられる打楽器とを同時に用いている点が特筆されます。

ベートーヴェンの「孤高的様式期」では、フーガと変奏曲形式が大きな役割を果たしています。いずれの形式も、ソナタ形式と融合されていることが極めて特徴的で、その特徴は交響曲第9番にも顕著に現れています。また、第1楽章から第3楽章までは、「D-F-A」(れ-ふぁ-ら)という3つの音を中心にして主題が作られており、これによって楽章間の有機的統一が図られています。しかし、最終楽章では、同じ素材で統一を図るのではなく、先行する3つの楽章の主題を否定した上で第4楽章の主題(歓喜の主題)を提示するという手法により、全く異なった次元での統一性が印象づけられます。この交響曲は演奏時間60~70分前後という大規模なものですが、こうした楽章内・楽章間の構成の工夫により、全く冗長さを感じさせません。

第1楽章は、ベートーヴェンに特徴的な、長大なコーダを持つソナタ形式。ホルンと弦楽器によるE-A(み-ら)という空虚五度の響きで始まります。調性不明で神秘的な響きは、何か壮大なことが起こりそうな期待を抱かせます。展開部ではフガートも聴かれます。また、コーダの前半は第二展開部としての性格を持っています。

第2楽章には、通常の緩徐楽章ではなく、スケルツォが置かれています。このスケルツォは非常に大規模なもので、スケルツォ-トリオ-スケルツォ(-コーダ)という三部形式をとりますが、スケルツォ自体がソナタ形式になっています。偏執的な付点リズムが印象的な第1主題は弦楽器によるフガートで提示され、第2主題は管楽器中心の明るいもの。2分の2拍子となるトリオは、スケルツォの第2主題に基づいています。

第3楽章は独特の形式で書かれており、ロンドとソナタ形式の中間的な構成となっています。天国的な穏やかさを持つ主要主題に続き、憧れに満ちた副主題が提示された後、これら2つの主題が1回づつ変奏され、さらに主要主題の変奏が2回続きます。夢見るような美しさは全楽器によるファンファーレ的音型で中断されますが、最後は再び主要主題の断片で穏やかに終わります。

第4楽章は様々な形式を盛り込んだ自由な形式で書かれており、全体は大きく7つの部分に分けられます。第1部は衝撃的な不協和音で始まり、チェロとコントラバスがユニゾンでレチタティーヴォ的な旋律を提示します。これは次の第2部でバリトンが独唱するレチタティーヴォに対応するもので、先行する楽章を否定するため、「否定のレチタティーヴォ」と呼ばれています。前の3つの楽章の主題が提示されますが、いずれもこの「否定のレチタティーヴォ」により次々と否定されます。最後に木管楽器がためらいながら新たな旋律を示すと、チェロとコントラバスは否定するのをやめ、自ら有名な「歓喜の主題」を歌いだします。第2部は協奏ソナタ形式でいう第2提示部に相当し、声楽が加わって第1部が再提示され、さらに発展していきます。器楽のみによる第1部の後でバリトン独唱が改めて「このような調べ(音)ではない」と歌うのは、歓喜の歌も器楽だけでは不足であり、声楽も必要なのだ、という主張とも受け取れます。

第3部は、「歓喜の歌」が変奏され、大太鼓、シンバル、トライアングルが加わった「トルコ行進曲」となります。第4部は一転して荘重なコラール風の音楽となり、第5部では「歓喜の主題」とコラール風主題による壮大な二重フーガが展開されます。第6部では「歓喜の主題」に基づく弦楽器の急速なカノン風フレーズに続き、独唱者の四重唱に始まり、後半は合唱も参加します。四重唱によるカデンツァも用意されています。最後の第7部はプレスティッシモという猛烈なテンポで、圧倒的な盛り上がりのうちに全曲を閉じます。

(T.M)

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