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プッチーニ/歌劇「ラ・ボエーム」

Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini (1858-1924)
La Bohème

あらすじ

オペラは歌劇ともいい、歌唱を中心とした劇です。この「ラ・ボエーム」は、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858.12.12~1924.11.29)の代表作の一つで、1830年代のパリを舞台にした作品です。

「ラ・ボエーム」とは、ボヘミアン(世間の習慣などを無視して放浪的な生活をする人(岩波国語辞典「第五版」)のことで、ここでは貧乏な芸術家の卵を意味し、いわば青春群像を描いた作品といえましょう。

プッチーニはイタリアのフィレンツェの近くのルッカという町の代々音楽を生業とする家に生まれました。貧困にもかかわらず母は彼を音楽学校にやり、彼も努力のすえに頭角を現し、ミラノの音楽学校に移って、特にポンキェルリに大きな影響を受けています。卒業後、最初のオペラ「ヴィリ」を発表し、第3作の『マノン・レスコー』は大成功となったうえに、台本作家ルイージ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーザの協力をもたらすきっかけとなりました。この2人の協力のもとに、『ラ・ボエーム』と『トスカ』、『蝶々夫人』の3曲が書かれました。このうち『ラ・ボエーム』はプッチーニの最高傑作としてのみならず、それまでのプッチーニ作品の中では最もロマンティックなオペラの1つに数えられています。

音楽史上の位置付けですが、イタリアの諸都市がオペラの中心地であったもののヨーロッパ各地にひろがった後、ドイツ国民オペラや国民主義的傾向を強めた各国のオペラから再び指導的位置を取り戻した19世紀末から20世紀初頭のイタリア・オペラで、ヴェルディ亡き後、最高の作曲家とされます。出世作の『マノン・レスコー』を皮切りに『ラ・ボエーム』と『トスカ』を次々に成功させて、オペラ作曲家としての地位を確立しました。

プッチーニの音楽は、イタリア・オペラの伝統にのっとり、劇的な展開と緻密な描写的表現、そのための転調の数々、半音階進行、変化和音の多用と3管編成の管弦楽を必要としたオーケストレーションの豊かさが特徴的ですが、とりわけ旋律の美しさは忘れられません。彼の旋律は、しばしば息が長いにもかかわらず、覚えやすく、自然で滑らかに流れていきます。このため、クラシック音楽やオペラの初心者にとっても、プッチーニ作品は親しみやすく魅力的です。

「ラ・ボエーム」の作曲上の特徴は、全体の構成が、起承転結の構成法を持っていることです。第一幕はミミの登場を境に前半と後半に分かれ、前半はボヘミアン生活を強調した快活な気分とユーモラスな会話の流れるように運ぶ部分、後半は、ミミとロドルフォの情緒たっぷりの旋律中心の部分です(家主ベノアが登場する場面は都合によリカットされます)。本日、続けて演奏される第二幕は、3本のトランペットによって奏される「カフェ・モミュスのテーマ」によって始まり、中にムゼッタの登場からワルツをはさんで前半と後半の合唱を中心とした賑やかな部分が一種の二部形式を作っています。小太鼓の連打に始まるフランス式行進曲が幕の終わりを告げます。第三幕は、いわば緩徐楽章にあたり、主役たちによる情感あふれる甘い旋律がたっぷり歌い上げられます。第四幕は、第一幕と同様な形式で、ミミの登場を境に、流れるような気分の前半と旋律的な豊かさに満ちた後半に分かれ、第一幕と同じ旋律が断片的にあるいは変形されて各所に現れます。後半、ロドルフォと二人だけになったミミが(ベッドに横たわったまま)歌うソロでは、管弦楽の低音が一小節ごとにC(ド)から一音ずつ下がり、一オクターブ下のC音に達します。ミミの生命の炎が次第に消えていくのを暗示します。

このように形式がすっきりとわかりやすいオペラが可能になったのは、原作がエピソードの集成だったということがあげられます。原作者アンリ・ミルジュは、この作品の舞台であるカルティエ・ラタン(ラテン通り)に住み、若い芸術仲間をモデルとして作品を書きました。その「ボヘミアン生活の情景」は、彼自身が編集をしていた機関誌に発表したもので、彼自身とその周りの人物をモデルにして書いた23の短編集からなっています。

原作ではミルジュ自身がロドルフォであり、他の登場人物も実在か数人の性格を組み合わせています。プッチーニ自身もミルジュ同様長く続けた貧しいボヘミアン暮らしを作品に反映させています。

(H.K)

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