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ベートーヴェン/交響曲第3番 変ホ長調 Op.55「英雄」

Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Symphonie Nr.3 Es-dur, Op.55 《Eroica》
Ⅰ Allegro con brio
Ⅱ Marcia funebre: Adagio assai
Ⅲ Scherzo: Allegro vivace
Ⅳ Finale: Allegro molto

この交響曲は、1803年から1804年初めにかけて作曲されました。ベートーヴェンは1790年代後半から難聴に侵されており、自殺まで考えるほどの深刻な人生の危機に直面します。この危機から立ち直る過程で書かれたのが、1802年10月の日付を持つ有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」で、人間として、音楽家としての深い苦悩を克服し、自らの芸術的使命を全うしようというベートーヴェンの強い決意が表明されています。この「遺書」の後、ベートーヴェンはハイドンやモーツァルトといった前世代の巨匠たちの遺産から大きく飛躍するような傑作を次々を生み出してゆくのですが、交響曲の分野でその皮切りとなったのが、この「英雄交響曲」です。

この曲における革新性は、まずは規模の拡大です。各楽章の長さもそうですが、特にソナタ形式をとる第1楽章について、以前のソナタ形式は、(序奏-)提示部-展開部-再現部(-終結部)という三部構成を基本としていたのに対し、この作品では、展開部が従来とは比較にならないほど長く充実した内容となり、終結部も単なる付け足しではなく、第二の展開部ともいえる構成上の重要部分としており、ソナタ形式を四部構成へと本質的に変換させています。また、第2楽章には異例の葬送行進曲が置かれ、第3楽章ではメヌエットの名残りを捨て去り本格的なスケルツォを成立させ、第4楽章を自由な変奏曲形式としていることなど構成面の新しさのほか、大胆な和声法、ホルンを3本使用していることも含めて管楽器が重要な表現手段として用いられていることや、チェロをコントラバスから独立させて弦楽器を五部とする方向を明確にしたオーケストレーションなど、様々な点に新しさが見られ、作曲者がこの曲にかけた意気込みが感じられます。

ベートーヴェン自身が校閲したこの曲の浄書スコア(ウィーン楽友協会所蔵)や彼の手紙から、この交響曲が当初は「ボナパルト」と題され、ナポレオンへの献辞が書かれていたものの、後になって、ベートーヴェン本人によりタイトルと献辞が抹消されたことがわかっています。そして最終的に1806年に出版された際には、この作品には「英雄交響曲(ある偉大な人物の思い出のために)」というタイトルが付けられました。この経緯を巡っては、弟子のフェルディナント・リースがベートーヴェンにナポレオンの皇帝即位のニュースを伝えると、ベートーヴェンは烈火のごとく怒って「それでは彼もやはり並の人間と変わらないではないか。今や彼もまた人間のあらゆる権利を踏みにじり、自分の野心だけを満たそうとするだろう。」と叫んで、スコアの表紙を2つに裂いて床に叩きつけた、という逸話が残されています。このエピソードは必要以上に重く受け止められ、偉大な芸術家の圧政に対する抵抗という単純化された美談として広まっています。

しかし実際には、この作品とナポレオンとの関係を巡っては、ナポレオンに対する賛否が混濁した両面価値的感情、この作品をウィーンからパリへの移住の「手土産」とする計画(実現せず)という現実的な問題、また移住計画の原因であったウィーンにおける貴族のパトロン制との葛藤、共和制や啓蒙主義の理想への傾倒といった、極めて複雑な要素が絡み合っていた可能性があり、この交響曲の表題と献呈先を巡ってベートーヴェンは大きく揺れ動いていたようです。最終的には、パリ移住をあきらめてウィーン市民としての生活を選んだベートーヴェンは、墺仏両国が再び戦争状態に入る状況の中で、パトロンであるウィーンの愛国的貴族からの庇護と自身の身の安全を確保するためもあって、交響曲からナポレオンの名前を消したのではないかと考えられますが、表題と献辞が消された浄書スコア表紙には、後にベートーヴェン自身が書き加えた「ボナパルトについて書かれた」という文字が消されずに残っており、そのことからも、ベートーヴェンの迷いが感じられます。

いずれにしても、第1楽章の激しい葛藤、その後に続く葬送行進曲の悲劇性と荘厳さ、そして第4楽章の変奏曲の主題が1801年に初演された自作のバレエ音楽「プロメテウスの創造物」の終曲からの引用であることに音楽外の意味を読み取るとすれば、ベートーヴェンはこの交響曲で、人間に理性の象徴としての「火」を与えた英雄プロメテウスにナポレオンをなぞらえ、英雄の闘争、死と再生という、極めてロマン主義的なドラマを描いたとも想像できます。さらには、ベートーヴェンは、旧体制を打倒した征服者ナポレオンの姿に、貴族への従属から彼自身を、そして芸術を解放したいという希望を重ね合わせたのかもしれません。しかし、第1楽章のコーダでトランペットが第1主題を高らかに奏すると思いきやオクターヴ下に「落下」する部分は、英雄の没落を予見したイロニーとも取れますし、第1楽章の再現部に入る直前にホルンが「フライング」して主題を吹き始めてしまう場面などは、ヒーローというよりもむしろアンチ・ヒーローを思わせ、やはり一筋縄ではいかない、ナポレオンに対する複雑な感情が反映されているように感じられます。

もちろん、このような音楽外の想像は無用で、音楽そのものを聴くべきという批判もあるでしょう。しかし、音楽自体がこうした想像を強く喚起するようなドラマ性を持っていること、それ自体がまさにこの曲を前の時代から大きく隔てる革新性なのではないでしょうか。

(T.M)

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