この交響曲は、ハイドンがパリのオーケストラ、コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックからの依頼で作曲した6曲の「パリ交響曲」(第82番~第87番)のうちの1つです。
ハイドンが長い間ハンガリーの貴族エステルハージ侯爵家に仕えたことはよく知られています。1760年の末頃からエステルハージ侯爵家に赴任したハイドンは、多くの創意あふれる作品を生み出してゆきますが、ヨーロッパの文化的な中心から遠く離れた地で活動せざるを得ない状況には、必ずしも満足していなかったようです。しかし、交響曲作家としてのハイドンの名声は早い時期から国外にも広がっており、特にパリでは、60年代から多くの交響曲が演奏、出版されていました。1780年前後には、1779年のコンセール・デ・ザマトゥール(コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックの前身)の演奏会で交響曲が、コンセール・スピリチュエルの演奏会で「スターバト・マーテル」が演奏されて大成功を収めたのをきっかけに、ハイドンの作品が爆発的な人気を呼び、これが「パリ交響曲」の依頼へとつながったと考えられています。
これらパリ交響曲の成立過程については、資料があまり残っておらず、6曲の作曲の順序なども正確には判明していませんが、恐らく1784年頃に注文があり、1785年に第87番、第85番、第83番が、1786年に第84番、第86番、第82番が作曲されたと推定されています。辺境の地から音楽の中心であるパリに向けて自身を売り込むべく、ハイドンは腕によりをかけてこれら6曲を仕上げています。名人揃いだったパリの優秀なオーケストラを想定して書かれたため、技術的にも音楽的にも、かなりのセンスが要求される曲でもあります。
本日演奏する第86番は、ハイドン自身により6曲セットの5番目に指定され、トランペットとティンパニを含む6曲中最大の編成となっています(第82番のトランペットとティンパニは両端楽章のみ)。曲全体が極めて精巧に組み立てられている上、和声的なものを中心に、ハイドンならではの仕掛けもふんだんに盛り込まれ、一瞬も聴き手を飽きさせることがない傑作です。
第1楽章はゆったりとした、しかし緊張感のある序奏の後、軽快で流れるような第1主題が現れます。ところが、この第1主題は予想外の調性で始まり、しかも期待したニ長調に至ったと思った途端に、今度はエネルギッシュなリズムがたたみかけるように打ち込まれます。以後も聴き手を驚かせる仕掛けが次々と現れる、手の込んだ作りの充実した楽章です。
第2楽章は「カプリッチョ」と題された緩徐楽章。タイトルどおり、きまぐれで茶目っ気たっぷりな音楽です。
第3楽章のメヌエットは、聴き手の拍子感を狂わせる仕掛けもあり、後の時代のスケルツォのような性格も感じられます。中間部の短調に変わる部分のミステリアスな雰囲気も印象的です。トリオはレントラー風ののどかな田舎の踊り。
第4楽章は、オペラ・ブッファを思わせるコミカルな音楽を中心にしながら、コーダでは突然キレたような激しさも聞かれ、最後まで聴き手を安心させません。
(T.M)