伊福部昭は現代日本で最も重要な作曲家の一人です。釧路で生まれ、父の転勤に伴い北海道各地を転々として育った伊福部は、先住民族であるアイヌの歌と踊りや、日本各地からやってきた開拓者の民謡に親しみ、大きな影響を受けました。やがて独学で作曲を始めた彼は、日本やアイヌなどの民俗音楽の持つ、素朴で時に野卑なまでの強烈な生命力をそのまま移植したような作品を発表してゆきます。また、「ゴジラ」や「ビルマの竪琴」など、優れた映画音楽も数多く手がけています。
伊福部の作品は、海外での評価とは対照的に、日本の楽壇では、戦前は「外国人のフジヤマ・ゲイシャ趣味に迎合した国辱的音楽」、戦後は「戦前の遺物」と非難されましたが、彼は一貫して自らの語法を守り続け、現在も新作を発表しています。聴き手の魂をわしづかみにするような力を持った彼の作品は、クラシック音楽が前衛の呪縛から解かれた1980年代以降、急速に再評価されています。
本日演奏するラウダ・コンチェルタータは、新星日本交響楽団の創立10周年を記念して委嘱され、1979年9月12日、同楽団の創立10周年記念第36回定期演奏会において、山田一雄の指揮、安倍圭子のマリンバ独奏で初演されました。そのときの演奏は大きな反響を呼び、伊福部自身のみならず、日本人作曲家再評価の動きにつながる歴史的なものとなりました。
作曲者自身は、この曲について次のように語っています。
(新星日本交響楽団第36回定期演奏会プログラムより:
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「司伴楽」とは協奏曲であり、「ラウダ=頌歌」とは、もともとは13世紀から19世紀半ばにかけて歌われたイタリア語による典礼外の宗教歌で、神を誉め讃える歌です。ラウダは初期には単旋律を会衆が一緒に歌っていましたが、後には会衆による反復的な部分と、その間に専門的な歌い手によって独唱される部分とに分かれたようです。「ラウダ・コンチェルタータ」では、マリンバとオーケストラとの関係は独唱者と会衆に当たりますが、日本的に言えば、巫女とそれを取り巻く大衆ということになるでしょう。両者は当初は対比的に扱われますが、最後には渾然一体となって、集団トランス状態のような興奮の極みに達します。
「われわれに内在しているが、まだ歌われたことのない歌声を喚起したい。」これは伊福部が自作の「交響譚詩」について述べた言葉ですが、交響譚詩のみにとどまらず、彼の音楽の持つ魅力を考える上で非常に興味深いものです。私たちも、「ラウダ・コンチェルタータ」を演奏しているときには、自分の中にある何かが目覚めつつあるような、異常な気持ちのたかぶりを感じることがあります。今日は福島さんという素晴らしいソリストをお迎えして、私たち自身、そして皆様の中にある歌を呼び覚ますような、この傑作にふさわしい演奏をしたいと思っています。
(T.M)