オーケストラ・ソノーレ長野 公式ホームページ

過去の演奏会

F.メンデルスゾーン/序曲「ヘブリディーズ諸島」Op.26

Felix Mendelssohn-Bartholdy (1809-1847)
Overture《Die Hebriden》, Op.26

裕福で教養あふれる家庭に生まれたメンデルスゾーンは、幼い頃から英才教育を受け、語学、芸術、スポーツなどあらゆる分野で並外れた才能を示していました。大学を出た彼は、とりわけ秀でていた音楽の道に進むことを父に許され、その援助のもと、さらに教養を高めるため、3年間のヨーロッパ旅行に出ます。彼はまずイギリスに8ヶ月ほど滞在するのですが、その間に当時観光地として流行していたヘブリディーズ諸島を訪れました。ヘブリディーズ諸島はスコットランドの北西に位置し、ケルト伝説に登場する英雄である巨人オシアン(オシーン)ゆかりの地として注目を集めていた島々です。中でもスタッファ島南岸の海蝕によって作られた巨大な洞窟は、1772年に発見されて以来、その奇景と異様な雰囲気から、オシアンの父であるケルト伝説中最大の英雄フィン・マックール(別名フィンガル)が住んだとして、「フィンガルの洞窟」と呼ばれ一躍有名になっていました。

この曲はメンデルスゾーンがそのフィンガルの洞窟を訪れたときに受けた強烈な印象により作曲したと説明され、そのため「フィンガルの洞窟」と呼ばれることが多いのですが、メンデルスゾーンが家族に宛てた手紙からは、実際にはこの曲のスケッチがスタッファ島を訪れる前日に書かれていたことがわかります。彼がスタッファ島を観光するのは8月8日ですが、8月7日付けで、家族に「自分がヘブリディーズ諸島でいかに妙な気持ちになったか」を伝えるために、この曲の冒頭とほぼ同内容の21小節のスケッチを書き付けているのです。つまり、この曲は洞窟そのものの描写ではなく、ヘブリディーズ諸島全般の風景と、その風景によりメンデルスゾーンの内面に湧き上がった感情に基づいていると言えるでしょう。

1年後、彼はこのスケッチを基に作曲を開始し、12月に初稿を完成させますが、その後も「魚油やカモメや塩漬け鱈の味」を求めて改訂を重ね、1832年5月にロンドンで初演しました。題名は作曲開始以来「ヘブリディーズ諸島序曲」、「孤島への序曲」、「フィンガルの島々への序曲」(初演及びピアノ連弾用楽譜出版時)と変転しましたが、恐らく出版のために書かれた最終の第4稿では「ヘブリディーズ諸島」となっており、これがメンデルスゾーンの最終決定だったと思われます。

北方の冷たく張り詰めた空気、繰り返し打ち寄せる波、穏やかな海面に反射する日の光、突然荒れ狂う海、険しい岸壁にそびえる古城、外輪式蒸気船の車輪の回転、航行する船が呼び交わす汽笛。この曲からはこうした風景が鮮やかに浮かび上がってきます。このような風景がメンデルスゾーンの心に呼び起こした「妙な気持ち」とはどのようなものだったのでしょうか。厳しい大自然の中での寂寥感、太古の英雄伝説への憧れ、あるいはそれらが渾然一体となったものか… このロマン派を代表する名曲を、ヘブリディーズ諸島の風景とメンデルスゾーンの心の内を想像しながらお聴きください。

(T.M)

Copyright (C) 2013 - Orchestra Sonore Nagano.
All Rights Reserved.

inserted by FC2 system